59の認定品が伝える、
伝統の味、本物の味。
薩摩の「殿さま菓子」として
受け継がれてきた伝統銘菓。
鹿児島県鹿児島市
かつて「軽羹」は、薩摩藩が諸藩への進物やもてなしにつかった御用菓子でした。特産の自然薯を主原料にしており、鹿児島の歴史や食文化と深く結びついています。
鹿児島では「軽羹」は「殿さま菓子」と呼ばれ、かつては薩摩藩の御用菓子。庶民が口にすることはできませんでした。
潔い白さが印象的な「軽羹」の原料は、自然薯と米粉・砂糖のみ。添加物は一切加えていません。自然薯とは、山野で自生する天然の山イモのこと。鹿児島県と宮崎県(旧薩摩藩地域)の雑木林に分け入って掘りあてた自然薯を入手しています。火山灰性によるミネラルを豊富に含むシラス台地で育った自然薯は、畑で栽培された山イモに比べて粘り気が非常に強く、かつ風味よく、軽羹の味の決め手となっているのです。米は、国産米。その年の出来栄えを考慮して産地・品種を選定のうえで、入手し、自社で製粉。砂糖は、軽羹の風味に影響がなく雑味がでないものを厳選しています。「軽羹」は、自然薯をすりおろして、米粉と砂糖を混ぜて蒸し上げた菓子。原料の配合割合などは、代々にわたって限られた職人に伝承されてきました。薩摩の名君と歴史、風土の特産品が生んだ鹿児島銘菓として、全国に名を馳せています。
現代に続く「軽羹」の始まりは、幕末から。薩摩藩主島津斉彬(しまづなりあきら)公(島津氏第28代当主)が参勤交代で江戸滞在の折りに、江戸で製菓業を営んでいた播州明石出身の八島六兵衛を藩の御用菓子職人として、国元に連れ帰ったことによります。ときに安政元(1854)年。六兵衛は、藩の格にふさわしい献上・接待菓子の考案を命じられていたところ、薩摩の良質な自然薯と米および奄美大島などから他藩と比べて豊富な砂糖を入手できたことに着目して、これらを用いた蒸し菓子「軽羹」をつくり出し、高い評判を得ました。また、原材料調達の背景には、斉彬公が興した集成館事業(当時としては画期的な西洋技術の導入による近代産業化計画)の一環で水車館がつくられ、砂糖精製・製粉の画期的な技術改良により増産が進んだことがあげられます。明石屋菓子店は、160余年を数える老舗で、伝統製法にのっとって格式伝える軽羹を作り続けています。