59の認定品が伝える、
伝統の味、本物の味。
信長、秀吉、家康も味わった
千年の伝統をもつ干し柿の極上品。
岐阜県美濃加茂市蜂屋町一帯。
岐阜県南部に位置する美濃加茂市は、冬の晴天率が高く、奥美濃で雪を降らせた乾風が吹き下ろしてくるため、秋に収穫した柿を干しあげるのに適した気候風土です。
堂上蜂屋柿は渋柿のうち最も大ぶりで干柿に適したもの。干柿も柿の種類や製法により各地にさまざまなものがありますが、平安時代から続く歴史的価値、天皇や歴代の将軍への献上品であったこと、独自の伝統製法、見事な大ぶりさ、品のよい甘味、あめ色の美しさや食感などから、干柿の極上品と評されています。栽培は、全て美濃加茂市の蜂屋町が原産となる「堂上蜂屋」の保存木を接木したものから行っています。摘らい・摘果により、より大玉に結実させるため1枝に1果で実が充実するように育てるなど、栽培にも技術と手間を要します。収穫した柿は、追熟、皮むき、かげ干し、天日干しで約40日の工程を経てできあがり。甘みを引き出すために1個ずつ手もみしたり小さいワラの箒で表面を掃いたりの作業を行うことで、65度もの糖度に仕上がっていきます。生産加工に手間がかかり大量生産できない貴重品であり、殿様が舌鼓を打った美味として人気が高い干柿です。
堂上蜂屋柿の歴史は、1000年以上。平安時代には朝廷に干柿を献上した記録が残っています。その後も、甘くて立派な干柿は信長、秀吉、家康と徳川代々の将軍に献上され続けました。堂上とは朝廷への昇殿を許された格をもつという意味で、これにより蜂屋村の干柿の名前が堂上蜂谷柿と称されるようになりました。1904(明治37)年セントルイス万博では金牌を獲得し、世界がその価値を認めました。それほどの干柿も、砂糖の普及などで途絶えかけてしまいました。昭和5年に村瀬俊雄さんが、再び堂上蜂屋柿を作りをはじめ、昭和52年には蜂屋柿振興会が発足し、美濃加茂市の特産品として復活しました。2007年には食の世界遺産として知られる「味の箱船」(主催/全世界を対象とする本部イタリアのスローフードプロジェクト)に認定され、ますます注目を集めています。