59の認定品が伝える、
伝統の味、本物の味。
古くから白神大豆だけを使用
藁づとで包んだ
秋田県能代市、山本郡内。
秋田県の北部、能代市、山本郡内。現在は能代市檜山町だけで製造されています。
能代平野を流れる米代川流域は昔から稲作が盛んな土地柄。青森県との県境には世界遺産、白神山地が聳え立ち、その麓に広がる東雲台地は水と土が豊で、古くから大豆生産がおこなわれていました。檜山納豆に使われる大豆はこの東雲台地で生産された「白神大豆」。容器となる藁づとも能代平野のものが使われています。
原料の大豆は激しい寒暖差のもとで育つため、他の国産大豆に比べて糖質を多く含んでいます。檜山納豆はこの大豆を洗浄し、温度などの状況を加味して水に漬け、翌日、その大豆を釜で蒸します。次にわらを蒸殺菌して、藁づとを作ります。蒸し上がった大豆に納豆菌を混ぜて藁づとにすばやく詰め込み、24時間ほど発酵室で発酵させます。かつては木箱の室に炭火を入れて半乾燥させる独特の方法でしたが、今は当時と同じ環境が発酵室でも可能となっています。最後に冷蔵庫で24時間、熟成させ、ラベルなどを貼って出荷します。大豆本来の味を堪能してほしいとの思いから、大粒のものを硬めで歯ごたえのあるように仕上げています。また、藁づとを使うことで納豆にほのかな香りがつき、食欲をそそります。
檜山納豆がつくられるこの地は室町時代、檜山城を中心に安東氏が統治していました。檜山納豆はこの頃から、下級武士が家計を助けるためにつくりはじめたといわれています。
「秋田名物、八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ、能代春慶、檜山納豆、大館曲わっぱ」江戸時代初期の作とされる「秋田音頭」には「檜山納豆」の名がでてきます。江戸時代中期以降、檜山納豆は家伝の秘法として3軒に限られ製法が継承されましたが、そのうち2軒は時代が明治に入ると相次いで廃業。唯一、その製法を引き継いだのが西村庄右衛門を屋号とする現在の元祖檜山納豆株式会社です。同社では地元産以外の大豆は使ったことがないといいます。納豆の美味しさが大豆の生産地の水と土壌で微妙に変化するからです。檜山納豆はこの地の歴史と気候風土の賜り物といえます。