59の認定品が伝える、
伝統の味、本物の味。
懐かしいほいろ香と濃い甘味は
炭火で焙じつつ茶を揉む伝統製法から。
福岡県八女市
八女地方は、土壌・水・朝霧など茶のいくせい生育条件がよい気候風土。高級茶の玉露については全国トップを誇ります。また、焙煎器具の主材料の八女手すき和紙産地でもあります。
八女地方は、日本一の高級茶の産地。最上級の茶を原料に、焙炉(ほいろ)という炭火による焙煎を行って仕上げたお茶が、特有のほいろ香をまとった「焙炉式八女茶」です。
このみ園では、厳選した荒茶(乾燥までを行った原料茶)を八女茶取引市場で仕入れ、九州一古い茶問屋として培われてきた火入れや配合・焙煎の技術で茶を製品として完成させてゆきます。通常の煎茶の仕上げ工程に加え、「焙炉式八女茶」の場合は、+アルファの手間=焙炉による揉みと乾燥を行います。
焙炉とは、茶を揉んで乾燥させる伝統的な作業台で、八女手すき和紙が貼られた助炭(台上部の名称)の上に蒸した茶をのせて手揉みすることで、炭火の遠赤外線で焙じられた緑茶には、渋みが少なく濃厚な甘味とうま味が生まれます。さらに、茶は「ほいろ香」と独特の香ばしさが漂うことに。なお、当地が焙炉の主部材である上質な和紙=八女手すき和紙の古くからの産地であったこと、かつて焙炉仕上げの紅茶を輸出していたことが、「焙炉式八女茶」製法の原点となっています。
八女地方での茶の栽培は、室町時代の応永13(1406)年に周瑞禅師が筑後国上妻郡鹿子尾村(現在の福岡県八女郡黒木町)に霊巌寺を建立し、茶の種を地元の庄屋に与え、釜炒り茶製法を伝授したことによります。茶に適した気候風土であったことで、次第に産地となり江戸時代には京都・大阪へも出荷するほどに。幕末期からは、紅茶(日本茶と同じ原料で製法が違うだけ)が重要産物となってゆきました。なお、輸出での船便輸送で茶葉をより乾燥させる必要があり、このとき焙炉(ほいろ)が大活躍しています。
大正時代までは、「筑後茶」と呼ばれて当地伝統の釜炒り製法でつくられていましたが、国内で主流になりつつあった蒸製緑茶(現在の一般的な煎茶)の影響を受けて、それまで「筑後茶」「笠原茶」「星野茶」など各栽培地
で呼ばれ製法も混在していたものを、大正14(1925)年に八女郡茶業組合理事長=許斐久吉(このみ園二代目)が蒸製緑茶に仕上げたものを「八女茶」と統一。その後は「八女茶」は、香りよくうま味豊かなお茶と評され、全国に知られるようになり現在に至っています。