59の認定品が伝える、
伝統の味、本物の味。
江戸時代から創業以来の製法で
手づくりする甘辛風味の山陰銘菓。
島根県出雲市
雲州平田とは、現在の島根県出雲市平田地区の旧称。江戸時代、雲州平田の粋人が地元の出西生姜を使った砂糖菓子に生姜糖を考案し、その製法が代々にわたり受け継がれています。
生姜糖とは、生姜の絞り汁の砂糖液を煮詰めて固めた菓子。生姜ならではのツンとする辛さと砂糖の甘さの二重の趣が楽しめます。
「雲州平田の生姜糖」の特色は、炭火の窯で煮詰める伝統製法と、特産の出西(しゅっさい)生姜を原料にしていること。この生姜は、同じ種生姜を他の場所で植えても普通の生姜になってしまう希少種で、「幻の生姜」とも呼ばれています。出西生姜は一般の生姜よりも小ぶりで、香りがたち、強い辛味とともに甘味がある、生姜特有のえぐ味が少ない、繊維質が少ないなど、生姜糖に加工しやすい素材なのです。
製造は機械を使わず、全て手作業で行われます。生姜の絞り汁の砂糖液を煮詰めるときに、あえて炭火を使うのは、遠赤外線効果によりガスや電気よりも火の通りが均一で砂糖が焦げない、生姜の色・香り・風味が損なわれにくいからなどの利点があるから。保存料や添加物も一切使用していません。昔と変わらぬ製法でつくられる「雲州平田の生姜糖」は、おだやかな半透明色で、手づくりのやさしさも人気の秘密となっています。
今から約300年前、当地の來間屋文左衛門が茶席にむく菓子を考案したのが「雲州平田の生姜糖」の始まりです。
当時、隣町の出西町からの行商が香りのよい生姜を売り歩いていました。正徳5(1715)年、文左衛門はその生姜と居住の平田地域で栽培されていたサトウキビに着目して、品格があり日持ちする菓子ができるとひらめき、「雲州平田の生姜糖」を完成させたのです。
その後、文化年間(1804~1817年)に、第11代将軍の徳川家斉公および松江藩主にしばしば献上して、そのつど賞賛を受けたことで「雲州平田の生姜糖」が広く知られることに。以降、当地で生姜糖がつくられ、大正から昭和初期には平田地域(現在の出雲市平田町)の菓子屋20軒のほとんどが生姜糖を手掛けており、「雲州平田の生姜糖」は山陰名物として愛されてきました。なお、現在、生姜糖を手掛ける店は1軒だけとなっています。